さて、先週の記事では「イヤホンで好きな音楽を聴きながら、ダブルスをやってみてください」という話をさせていただきましたが、実際に試した方はいらっしゃいますか?パートナーや相手とコミュニケーションがとれないだけでなく、想像以上に恐怖・不安を感じたことと思います。ちなみに私は、音楽を聴きながらのダブルスでは、怖くて全力でプレーできません。
聴覚情報を遮断することはダブルスのプレーにどのような影響をもたらすのか、3つの観点からまとめていきます。
1.パートナーの動きが分からない
おそらく、最も大きな影響は「パートナーの動きが分からない」ということだと思います。生理学的に説明すると、私たち人間は目が前向きについているため、後方の情報は聴覚でしか得ることができません。したがって、自身が前衛の時、後衛のパートナーの動きは聴覚で感じています。たとえば、パートナーがバック奥からフォア奥にふられた状況で、パートナーが跳びついてスマッシュを打つのか、それとも安全にクリアーを返すのかは、パートナーの足音や息づかいから判断しています。また、自分が前衛から下がりながらスマッシュを打つ時は、パートナーの動きを聴覚で感じ、衝突の危険がないかを判断しています。したがって、実際の授業でも、聴覚を遮断するとペア同士が衝突しそうになるケースが頻繁におきます。これが、「パートナーとぶつかる可能性が大きいから、無理してシャトルを追わないように。特に、後衛のプレーヤーは注意すること」と、念入りに指導する理由です。
このようなプレー中の判断は一瞬のことですが、誰もが無意識に聴覚情報を利用しています。したがって、普通にプレーしている限り、聴覚の重要性に気づくことはできません。そこで聴覚を遮断し、あえて恐怖を体感させることが、どれだけ聴覚(音)がバドミントンをプレーする(後方の情報を得る)ために大切かを気づかせるきっかけになります。
2.相手が打ったシャトルの速度(強さ)が分からない
相手のスマッシュがクリーンヒットしたのか、それともスライス(カット)がかかったか、これも聴覚が遮断されると分からなくなります。おそらく、シャトルの初速を視覚で把握することは極めて難しく、ほとんどが打球音で判断していると思われます。
3.自分の打ったシャトルの速度(強さ)が分からない
この点に関しては、このように感じるかどうかは個人差がかなり大きいと思いますが、授業(初級者)レベルでも、「自分が打ったスマッシュが、しっかりラケットに当たったかどうか分からなかった」と答える学生は、時々、現れます。
みなさん、大きな体育館、苦手じゃないですか?
このような研究があるという話ではなく私の個人的な考えになりますが、大きな体育館を苦手と感じる原因は聴覚にあると思います。小さな体育館と比べ、大きな体育館では打球の反響音が小さくなります。したがって、普段は小さい体育館で練習をしている人が大きな体育館で試合をすると、たとえ同じようにスマッシュを打ったとしても、反響音が小さいため「スマッシュが当たっていない」と錯覚するのだと思います(もちろん、タイミングがとりにくいというのも関係すると思いますが)。
私も、大きな体育館は本当に苦手でした。「スマッシュが当たっていない」「調子が悪い」と、どんどんマイナス思考になっていき、思うようなプレーができないことが多かったです。逆に、小さな体育館に行くと、「今日はスマッシュが速い!」と良い方に錯覚して、気分良くプレーができたりします。このように、ちょっとした感情の変化はプレーに大きく影響します。もし、みなさんが指導する子供たちが初めて大きな体育館で試合をするような時、「今日の体育館は大きくてシャトルの音が響かないから、ラケットに当たっていないように感じると思うけど、あまり気にしすぎないでいいからね」と、事前にサポートしてあげると良いかもしれません。そしてできたら一度、聴覚を遮断した状況でバドミントンを行わせることで、「音(聴覚)って、こんなに大事なんだ」と体感しておくことも良いのでは、と思っています。
さて、すでに長々と書いてしまいましたが、もうしばらくお付き合いください。実は、これまで書いたことを学生たちに伝えたくて、「音楽を聴かせながらバドミントンを行わせる」ということを授業で始めた訳ではありません。他の本当の理由を2つ、まとめます。
本当の理由その1:親(教育者)として
私は小学生の頃、母親から強く、「音楽を聴きながら自転車に乗らないように」としつけられました。今は2歳と0歳の息子がいますが、彼らが大きくなった時も、絶対に音楽を聴きながら歩く・自転車に乗ることはさせません。しかし巷には、音楽を聴きながら自転車、さらにはバイクに乗る学生もいます。なぜそんな愚かなことをするのか、聴覚が遮断されることの危険性を身をもって体感させたいと思ったのが、このような授業を始めるきっかけになっています。
また授業では、「女性は、絶対に夜道で音楽を聴きながら一人歩きしないように」ということも伝えています。もし私がそのような悪事を働きたいと思ったら、真っ先にその女性を狙います。お節介かもしれませんが、痛ましいニュースを聞くたびに、伝えずにはいられません。
本当の理由その2:日本人として
大学院を修了した後、スペインに留学したことがありました。外国人に囲まれた生活を送ることで、必然的に私が日本人であることを強く意識するようになり、また家にはテレビもなかったため、留学中はよく本を読んでいました。特に、「国家の品格」の著者である藤原正彦先生の本が大好きで、何冊も読んでいました。
たしか、「国家の品格」だったと思うのですが、「虫の鳴き声を日本人は音や歌と表現するが、外国人は騒音(noise)と表現する」といったことが書かれていました。まさかと思い、すぐに友人(フランス人留学生)に聞いたところ、やはり騒音(noise)だと言うのでものすごい衝撃を覚えました。留学中は他にも様々な経験をしましたが、日本人の感性・情緒が豊かであることは間違いありません。
音楽を聞きながら歩くことを完全に否定することはできませんが、私は四季の移ろいを音で感じながら歩くことを好みます。最近は、家の周りでも日が暮れるとコオロギの鳴き声が聞こえるようになりました。「危険だから歩きながら音楽を聴かない」という消極的な価値観よりも、「四季の移ろいや雑踏の音を聞きながら歩くことの方がカッコイイ(日本人らしい)」という積極的な価値観を学生に伝えたいと思っています。
話がだいぶ飛躍してしまいましたね。ただ、学生にはインパクトがあるようで、まとめのレポートに「授業を受けてから、夜道で音楽を聴きながら歩くことは止めました」「卒業後は海外で活躍したいと思っているが、日本人としての情緒を大切にしたい」といった感想が書かれてあるのを読むと、本当に嬉しくなります。
次回は感覚シリーズの最後として、「羽子板」を使った授業についてまとめていきます。
西島 壮(首都大学東京)