最後まで・・・
希望を捨てちゃいかん
諦めたらそこで試合終了だよ
こんにちは。
バドイク担当の齋藤です。
また漫画かい!!
そうです。
これは有名なスラムダンクの安西先生が三井寿にかけた言葉です。
なにせ私自身スラムダンク世代ということもあり中学入学時にはバスケ部もいいな!なんて一瞬迷うくらいにスラムダンクが流行っていたことを覚えています。
諦めていませんか?
前回はカッコいい選手になるための2つの条件ということについて考えてみました。
そこでは『ダサい選手の要因の中に諦めがある』ということが出てきました。
私も試合を見ていると諦めてしまっている選手を見ることもありますし、逆に対戦相手が戦意喪失してしまったということも見られます。
特にジュニア期は始めた時期の差が大きく勝敗を左右します。
小学校からやっている子に中学から初めて勝つというのはなかなか難しく、最初からどうせ勝てないと思っている子も少なくありません。
また実力差がある相手と対戦となると名前負けしてしまったりということはよく見受けられることではないでしょうか。
勝負にこだわるのは子どもらしさ
子どもたちは競争が好きです。
リレーやダッシュの早抜けなどは盛り上がるし、中には目をギラつかせている子、負けて悔しくてもう一回やりたい!とせがんでくる子もいます。
子どもというのは大人が思う以上に勝負にこだわっています。
勝ち負けにこだわるということはある意味では子どもらしい部分と言えるのかもしれます。
時に勝負にこだわりすぎるあまり、仲間を傷つけてしまったりすることもありますが、そういった経験を通じて勝負にこだわってよいことと勝ち負けだけで捉えてはいけないということのバランスが取れるようになってくることで社会性を身に着け大人になっていくのではないでしょうか。
子どもたちの世界から勝ち負けというものを排除してしまうということは、子どもたちの子どもたちらしさというものを奪ってしまう危険性もあるのかもしれません。
勝ち負けという結果しか見えていないのかも
子どもたちは競争が好きです。
競争をすると勝者と敗者にわかれます。
そして子どもは大人が思う以上に勝負の結果に対して敏感です。
中には勝てない相手だとわかった瞬間その試合を諦めてしまうこともあります。
このような子の場合、試合の勝敗ということのみに囚われているのではないかと考えられます。
そして・・・
この『諦め』というものの怖さは試合を一気につまらないものにしてしまうということなのです。
諦めたらそこで試合終了の意味
バドミントンは対戦相手と1対1もしくは2対2でラリーの勝ち負けを競うスポーツです。
ここで私が強調したいのは対戦相手と競うということです。
もう勝ち目がない・・・
私の負けだ。
この瞬間、この選手の試合は終了すると思われがちです。
しかし、バドミントンは対戦相手と勝ち負けを競うスポーツです。
試合中に諦めるということは
「(対戦相手を含めた)私たちの試合が終了する」
ということになるのです。
私たちの試合が終了するということの、一つにはスポーツが成立しなくなるということです。
極端な表現かもしれませんが、どちらか一方が試合を諦めてしまった場合、バドミントンというスポーツが対戦相手を一方的に叩きのめす弱い者いじめへと変わってしまうということになるのです。
そして、もう一つには対戦相手のバドミントンを奪うということです。
バドミントンは双方がラリーの勝ち負けを競い合って成立するスポーツです。
どちらか一方が諦めるという行為は、諦めてしまった人自身のバドミントンが終了するだけでなく、対戦相手のバドミントンも一緒に終了することになります。
つまり諦めるということは他の人のバドミントンを奪ってしまうということなのです。
バドミントンにおいて諦めという行為は、対戦相手と勝ち負けを競い合うバドミントンというスポーツそのものの根幹を揺るがす事態であるということが言えるわけですね。
諦めるのは自分自身だから周りにはなにも迷惑をかけていない!ということにはならないということです。
おわりに
子どもたちは競争が好きですし、勝敗にこだわってしまいます。
だからこそ喧嘩も起きるし、諦めてしまうこともあります。
諦めということの奥には勝負への意識があると言えるのかもしれません。
勝負への意識を上手に方向付けすることができれば戦える選手になってくるのではないでしょうか。。
なにより最後の1点が決まるまでラリーの勝ち負けを競い合える選手はカッコいいですし、そのような試合がスポーツの魅力ですよね!
戦える選手に育てるための工夫や声掛けなどぜひ皆様からのご意見やアドバイスをお待ちしています(^^)
ではでは今回もお付き合いいただきありがとうございました。