こんにちは。
バド育担当の齋藤です。
今年は暖冬でまったく雪が降りません。
今年は寒くないね!なんて会話が聞かれます。
(それでも0℃近くまで下がるので寒いことは寒いんですけどね)
寒いのは嫌だけど寒さが厳しくないとなんか長野にいる気がしないのは私だけでしょうか。
ナイスショットに気づいていますか?
ということで前回からナイスショットについて考えています。
ナイスショットには二つある
① 偶然とても素晴らしいコースに飛んでいったとき。
② 狙いどおりのショットが打てたとき。
前回「なぜ、同じミスを繰り返してしまうのか。ナイスショットとはどんなものか。」は①の偶然とても素晴らしいコースに飛んでいったときのナイスショットについて考えてみました。
偶然とは自分が意図したものではありません。
特にナイスショットについて②の認識と理解している選手は自分の「狙い通り」ではないため偶然のナイスショットに気づけなかったり、ミスショットとしてとらえてしまったりする傾向があるように感じられます。
今回は②の狙い通りのショットが打てたとき。について考えてみたいと思います。
狙いはなんですか?
以前、こんな場面がありました。
半面でドライブを打ち合っていた時のこと。
何度も同じようにネットにかけてしまう選手がいました。
私が
「なにを練習しているの?」
と聞いてみたところ
自信満々!?に
「ドライブです!」
との返事がきました。
「ドライブってネットにシャトルを突き刺すショットのことなのかな??(意地悪ですね)」
とさらに質問をすると
「・・・」
となってしまいました(^-^;)
「ドライブでどこを狙っているの?どこに打ちたいの?」
という問いかけにも頭を悩ませていました。
整理してみましょう。
ナイスショット②は狙い通りに打てる。ということです。
この場合は
『そもそも狙いが無い!』
という状態です。
狙いが無い状態ではそもそも狙い通り打てない、というか狙いが無いから狙いようがない?ですよね。
狙い通りのナイスショットを打つためには、自分が打ちたいコースを狙うというところからのスタートですね。
「私」の正解は「私」にしかわからない。
感覚や考えていることは本人にしかわからない部分があります。
指導者から見たら「パン」と打っているように見えても、選手本人のイメージでは「パシ」かもしれません。
指導者はシャトルの飛びやインパクトなどを見て客観的に良い悪いを伝えることはできますが、選手が上達していくうえでは、選手自身の正解「私の正解」にたどり着くことです。
指導者である私の「パン」が必ずしも選手にとっての正解とは限らないわけです。
選手は「私の正解」を探し、指導者は「あなたの正解」をさがすということなのでしょう。
「私」の感覚を掴む
「指導者である私の目からは、今のはナイスショットに見えたが、あなたの中ではどうだったのか」ということです。日本語って難しいですね(^-^;
ちょうど先日、クロスネットを練習している選手が、私(指導者)から見てナイスショットを打ちました。
「今のナイスショットだね!」
と伝えると
「私も自分でわかりました!
『パチッ!』って打つといいんですね!」
と興奮して喋っていました。
選手がナイスショットに出会った瞬間であり、私(選手)のクロスネットの感覚は「パチッ」であることに気づいた瞬間でもあります。
私の中の感覚を掴めると一気に再現性が高まります。
これがコツを掴むということなのでしょう。
おわりに
前回の一番最初、
「今ので合ってますか?」
という質問が出るということは、選手自身がまだ私(選手)の正解にたどり着けていない可能性が高いです。
一つは正解に出会えていない。
もう一つ考えられることは正解に出会っているが気づけていない。
という二つのことが考えられます。
これらの要因の一つには「選手が指導者の正解に近づこうとしている」ということがあるのではないかと考えています。
先ほどもお話したように、同じようなナイスショットでも「私の正解とあなたの正解は違う」ということを双方が共有することが重要です。
指導者は「あなたの正解に出会わせてあげること。あなたの正解に気づかせてあげること。」
そして
選手は「私の正解に出会うこと。私の正解に気づくこと。」
狙い通り打つというところから脱線したような気もしますが、ナイスショットを自在に出すためには、私の中でコツを掴むということです。
「私の正解とあなたの正解」に気を付けてみてはいかがでしょうか。
ではでは。今回もお付き合いいただきありがとうございました。